英語教育は何歳から始めたら良いのか?
これは日本ではよく言われることです。
2018年から小学校の英語教育が改革されますが、海外の小学校での事例はどうでしょうか?
今回は私の住むオーストラリア ビクトリア州での外国語学習の特徴について、現地で外国語(日本語)を教えている私がまとめました。
目次
オーストラリアの小学校での外国語教育7つの特徴
日本では、中高の計6年間、大学で選択すれば更に4年間も英語を勉強します。
……にも関わらず、一歩外国に出て、現地のひとたちと意思を疎通しようとしたら何を言って良いかわからずアワアワ。
日本における英語教育制度はまだまだ改善の余地がありそうです。
では実際に英語学習を何歳からスタートしたら良いか、という疑問に関して文部科学省の見解を観てみると「小・中・高等学校を通じた一貫した指標の設定」として、
2020(平成32)年度を見据え、新たな英語教育を実施していくため、小・中・高等学校を通じた英語教育の充実・強化を進める。
国として、これまでの取組を検証しつつ、小・中・高等学校を通して各学校段階の学びを円滑に接続させるとともに、学校種ごとの教育目標を、技能ごとに「英語を使って何ができるようになるか」という視点から一貫した教育目標(4技能に係る具体的な指標の形式の目標を含む)を示す(資料参照)。これにより、各学校が、具体的な学習到達目標を設定し、英語力に関する達成状況を明確に検証できるようにする
今後の英語教育の改善・充実方策について 報告~グローバル化に対応した英語教育改革の五つの提言~:文部科学省より引用しました。
と制定しています。
2018年度 | 3、4年生で英語が必修化される |
---|---|
2020年度 | 5、6年生で教科化される (=文科省認定の教科書を使い、成績が付く) |
簡単にまとめると、上のような小学校における英語教育の大改革が行われます。
ではオーストラリア、そして私の住んでいるビクトリア州での小学校における外国語教育はどうなっているのでしょうか。
オーストラリアの小学校における外国語教育の特徴についてご紹介します。
各学校が外国語を決める
メルボルンの小学校では92%の小学校が外国語を教えています。(2015年時点)
オーストラリアには教育要項があるものの、私のいるビクトリア州は独自の教育要項を採用しています。
小学校で教えている外国語トップ10はこちらです。
外国語 | 学校数 | 割合 |
---|---|---|
イタリア語 | 209校 | 17.1% |
インドネシア語 | 195校 | 16% |
日本語 | 179校 | 14.7% |
フランス語 | 105校 | 8.6% |
ドイツ語 | 68校 | 5.6% |
中国語(北京語) | 62校 | 5.1% |
豪州手話 | 47校 | 3.8% |
ギリシャ語 | 15校 | 1.2% |
スペイン語 | 14校 | 1.1% |
アラビア語 | 7校 | 0.6% |
※ビクトリア州教育省HPより: 複数言語を教えている小学校含む。パーセントは小学校全体からの割合。2010年度データ。
移民の数が背景にある
イタリア語、ドイツ語、ギリシャ語あたりは、かつての移民の多さが背景としてあります。
中国語は現在、教えている学校数、履修者数共に他の言語とは比べものにならないくらいの伸びをみせています。
面白いのは7位に食い込んでいる「手話」ですね。手話も外国語枠に含め、小学校で教えられています。
教えられる外国語は学校が選ぶ
注目したいのは規則性がないこと。たとえば、私が住んでいる近所の小学校はフランス語、勤務先近くの小学校は日本語……みたいになっているわけではありません。
各学校が選定して外国語を教えているのがうかがわれます。
外国語の授業は週1限のみ。これだけの限られた時間でひらがなを教えたりアクティビティーをしたりするのは先生方にとっては相当な苦労があると想像できます。
小学校低学年から外国語の授業が始まる
オーストラリアでは小学校の「プレップ年」から外国語の授業が始まります。
「プレップ」は日本に存在しない学年の名称で、幼稚園を卒園すると小学校の「プレップ年」に編入します。
ちなみに、プレップ年の次が1年生で、プレップ年を合わせると小学校は7年ということになりますね。
低学年から外国語を学ぶ最大のメリット
低学年から始める大きなメリットとして、発音やイントネーションの習得が早いこと。
たとえば日本語の「らりるれろ」の発音は英語にはありません。また、「さしすせそ」の発音もローマ字読みしたものと大きく異なります。
「ありがとうございます」と発音するのにもオーストラリアの子供がローマ字で学ぶと「Arigato Gozaimas」という風になり、「り」の発音が「ri」、イントネーションも赤文字の箇所が強調されてしまいます。
でも、小さい頃から日本語の自然な発音に接していればこちらが驚くくらい自然で滑らかな発音を修得してくれます。
低学年から英語を始めると日本語があやふやになる??
英語教育が低学年から始まるという話になると、必ず出てくるのがこういう意見です。
- 日本語が定着する前に外国語を勉強しても効果は薄い!
- 逆に日本語があやふやになって悪影響
オーストラリアの場合、2カ国語を話せるのはふつうになってきています。
国際結婚した家庭では、例えばお父さんが話すクロアチア語、お母さんが話すイタリア語、そして学校で話す英語の3ヶ国語をそれぞれ操ります。
オーストラリアは異民族国家だという事を象徴するように、多言語を話せる子が多いのです。
外国語の授業には政府の定める教科書がない
ビクトリア州教育省では、定められた外国語修得の進捗目標はあります。
ただ、その具体的方法は各学校および先生に任されています。
教科書は政府が定めているものが無いので各学校の先生が選んだもの、もしくは自作の教材を使っています。
この制度のメリットとしては、先生が自分の得意分野を活かした教授法ができるということ。
例えば、日本語以外の科目の内容を「日本語で」教える教授法(CLIL)で、元栄養士の日本語教師が日本語で「食育」について教え、日本語のみならず家庭科の内容もカバーして食べ物の栄養や調理実習を教える、なんてこともあります。
「4スキル」をまんべんなく修得
日本語の英語教育と対照的だなと思うのが、外国語の4スキル(読む・書く・聴く・話す)をバランス良く修得するということ。
日本の英語教育は、大学受験から逆算されて履修事項が用意されているため、試験で重要となる「読み書き」が最重視されています。
ビクトリア州の大学受験における外国語試験は筆記・小論文・リスニング・会話面接があります。
そこから考えると高校での4スキル修得は日本での読み書き同等、重要なわけですね。
日本の学校よりもアクティビティーが多い
また、日本の学校に比べてこちらの学校で多いのがアクティビティー。
日本語でいえばひらがなカルタ、フラッシュカードを使ったもの、最近はICTのデジタルツールを使ったものも多用されています。
例えば「Kahoot」というオンラインでみんなで競争してできるクイズや、iPadのアプリを活用した寸劇など。
学校によってはiPadを1人1台ずつ持たせているところもあります。
小学校でも外国語専門の先生
日本の小学校の先生といえばクラス担任の先生がほぼ全ての科目を教えてくれます。
オーストラリアの学校もそうなのですが、外国語に関しては別。
たいがいの外国語教育の先生は、その言語の国出身者、もしくは滞在経験者。なのでその国に関する知識や言語運用能力は高いといえるでしょう。
実際に言語を使う機会を設けている
小学校によってはスカイプで、学んでいる外国語の国とつなぎ、そこに住んでいる人達と会話をしたり話を聞いたりということをしています。
私の好きなエピソードはイタリア語の授業の一貫で、イタリアにいるおばあちゃんがスカイプ越しにクラスに読み聞かせをしてくれるというもの。
読み聞かせが終わるとおばあちゃんとお話の感想を言い合ったりし、生徒たちの言語力は大幅に伸びたそうです。
話のオチとして、生徒たちの話すイタリア語のアクセントや言葉遣いが「おばあちゃん言葉」になってしまったそうです(笑)。
他にも、日本語を教えている学校であれば、日本旅行に行ったり日本料理屋さんに遠足に行くといったこともして日本語を話す機会を設けています。
文化理解にも力を入れている
外国語学習において、その国の文化について学ぶのも大切な項目とされています。
たとえば日本語であれば、アクティビティーにラジオ体操をやり、それにまつわる 5W1H (いつ、だれだ、どこで、何を、なぜ、どうやってやるのか)について考えます。
カルタ、けん玉で遊んでみたり、料理でキャラ弁を作ってみたり、カルチャーデーと称して運動会っぽいものをやったり。
ゲストスピーカーを授業に呼んで茶道のデモンストレーション、着物の着付けを行ったりすることもあります。
ひとくちに「文化」といっても様々な切り口があり、それら色々なことに触れる機会が用意されています。
まとめ
大きな教育変革を迎えようとしている日本ですが、オーストラリアも通常3年に1回、教育要項がかわるので指針が大きく変わることも。
でも、どんなに教育要項が変わろうとも、外国語学習の要になるものがあります。
それは実際に外国語を使って「反応を得たとき」。
日本であれば、外国から来た留学生に英語を使ってそれが通じたとき。
その時に使った言葉と感動というのは記憶に定着するし言語を学ぼうというモチベーションになるものです。
オーストラリアの外国語教育の根底にあるのは、そういった本物のコミュニケーション。
そのコミュニケーションの中から人間力が育まれていく、そんな風に私は思います。