今回は、この「英語びより」で記事を書かせていただいているわたしこと「サト」について紹介します。
わたしがどういう人間で、言語や語学とどういうふうに関わってきたかについてまとめましたので、読んでいただけるとうれしいです。
目次
サトってどんな人?
まず、わたしがどういう人間かを簡単にまとめてみます。
サトは英語の勉強マニア
わたしは「英語の勉強マニア」を名乗っていますが、こういう特性があるからです。
サトの特性
語学留学などはもちろん、英会話スクールにも通わず、ひたすら勉強を楽しみながらやれてしまう体質です。
また、TOEIC(模試ですが)も定期的に受験しています。「趣味」として。
受験と言っても、「ひとりTOEIC」で、自宅で時間を計ってやっているだけですが。
それでも、緊張感の中、時間と戦いながら問題を解いていくのは、なかなかシビレるものがあります!
これを読んで、じゃっかん引いてしまったかもしれませんが、ご安心を。
わたしも、自分で書いててちょっと引いてますから……。
TOEICの最高点は990点
TOEICの最高点は990点。つまり満点です。
これは模試ではなく、ちゃんとした試験でした。
初めて受けたときは、たしか800点もなかったので、そこから考えるとかなり伸びたことになります!
いろんな言語を勉強
英語のことばかり書いてきましたが、実はわたし、ことば自体が好きです。
今までこんなことばを勉強してきました。
今まで勉強してきたことば
「日本語」は「日本語教師になるための勉強」という意味での専門的な勉強です。わたしは日本人ですので。
というか、今も現役の日本語教師として、日本語の勉強を続けています。
実はほかにも勉強した(と言うより「かじった」)ことばがあるのですが、黒歴史なので後述しています。
現在はインドネシアで日本語教師
現在はインドネシアに住んでいて、大学と日本語学校で日本語の授業を担当。
「日本語教師」という仕事ですね。
授業ではインドネシア語と日本語を使っていますが、お気づきでしょうか。
先ほどご紹介した4つの言語のうち、2つ(インドネシア語と日本語)を生かして仕事をしていることに。
わたしの能力をグラフ化すると、「ことば」のところだけやたらとんがっているはず。
でもまあ人生楽しいのが一番なので、これからもそのままのトンガリで生きていきます。
もしくは、さらに「ことば」のところが、とんがっていくかもしれません。
「さとたす」というブログも運営していますので、よかったら遊びに来てください。
サトと言語の関わり
では今度は、わたしがどんな「ことば」を学習してきたか、その歴史を(挫折した黒歴史も含めて)、詳しくご紹介します。
フツーな幼少期
では、幼少期から行きましょう!
何歳のときかは思い出せないのですが、自宅に英語教材のカセットテープがあったのを覚えています。
なので、わたしが出会った最初の外国語は、ふつうに英語でした。
この教材、正確に言うと、大量の本 + 大量のカセットテープのセット。
少なくとも30年以上前の話なので、けっこうなお値段だったはずです。
なのですが! 今も覚えているのはファニーな感じで「次のページだよ〜。Nursery Timeだよ〜」とか言っている声のみですね。
このセリフは、声色とともに今でも脳内再生できるのですが、それ以外はタイトルや内容も含め、まったく覚えておりません。
教材を買ってくれた両親には、ほんま申し訳ない……。
熱心にテープを聞いていたわけでもありませんでしたしね。
英語が得意教科だった中学時代
そんなわけで、せっかく英語に触れる機会があったのにまったく生かさず……。
小学生時代は、外国語学習については完全に空白です。次に英語に出会ったのは、ふつうに中学1年生のとき。
中学で英語が得意科目に
中学時代、暗記が必要な社会や理科などは大の苦手だったのですが、英単語や英文を覚えるのはなぜか苦になりませんでした。
「英語の勉強マニア」の片鱗がすでに見え始めていますね。
気づけば、全科目中、英語が一番得意な科目に! というか、英語以外はひどい成績でしたが……。
英語が得意になったのは先生の存在が大きい
今考えると、英語に苦手意識がまったく芽生えなかったのは、最初に英語を教えてくれた先生の存在が大きかったと思います。
その先生は素朴で、でも英語が好きなんやなあ……というのが伝わってくる先生でしたね。
授業もなんとなく楽しみにしていた記憶があります。
そんな先生の指導のおかげで、英語嫌いになるどころか、英語力の基礎を築くことができました!
高校時代に出会った先生が運命を変えた
次は、高校時代です。
中学ですっかり英語を得意科目にしたわたしは、高校でも快進撃を続けました。
「快進撃」と言っても、「わたしが通っていた高校」の「英語の試験の点数」という、ものすごーく限られた範囲ですが。
高校でも英語で高得点を
英語だけ試験の点数がやたら高く、高校3年間で3回あった実力テストで、2回学年1位に。
1回は1位を取り逃したのですが、そのときはどうしても答えられない問題があったんです。
一言で言うと、出題ミスです。
先生にも「これ、答え出ないんじゃないですか」と聞いてみたのですが、無言のほほえみでごまかされました。
その問題が合っていれば学年トップだったのに…‥。まあ、今となってはどうでもいい話です。
とにかく、高校に入ったあとも英語の勉強が好きで、試験で点数を取ることにも長けていたということですね。
話せるかどうかはともかく
「英語の勉強マニアとしての才能が開花した」とも言えます。
運命を変えた教師との出会い
高校3年生になり、大学を決める際も「 入試で英語の比重が高いところ 」というのが一番重要なポイントでした。
「大学を卒業したらアレがやりたいから、この大学に入りたい! 」という、意識高い系の選び方ではなく。
そんなわけで、候補に上がったのは、もちろん外国語大学でした。
当初は「外国語大学で英語を専攻したろう」と思っていたわたしですが、ちょうど高3の4月から予備校に通い始めたことで、進路がガラッと変わってしまいました。
通っていた予備校の英語の先生がめちゃくちゃマニアックな方で、授業もマニアックだったんです。
たとえば「computer」みたいな「発明品」の表現は「特定のもの」じゃなくても「the computer」のように「the」を使うとか。
実際にGoogleで「the computer」を検索すると、どう見ても特定のコンピュータじゃない例が、けっこうな数出てきます。
当時、某通信講座の英作文で「the computer」って書いたら、「特定のものじゃない」という理由で見事減点されましたが……。
インドネシア語を選ぶ
ともかく、マニアなわたしにはたまらない授業で、先生も尊敬というか崇拝していまして。
そんな先生が、「外国語大学に行くなら、英語以外のことばを専攻したほうがいい」というアドバイスをくださったんです!
理由は、英語の勉強はどこでもできるから、外国語大学でしかできない勉強をしたほうがいい、ということだったと思います(あいまい)。
まあ理由はともかく、先生を崇拝していたわたしは、あっさり路線変更。
外国語大学のパンフレットに専攻できることばの紹介があり、「めっちゃかんたん」アピールのあったインドネシア語を選んだのでした。
「めっちゃかんたんやったら、極められるんちゃうか」という淡い期待も抱きつつ。
厳密に言えば、「文字がおもしろそう」という理由で「ビルマ語」も選択肢に入っていたので、いかに将来のことを考えていなかったかがおわかりいただけるかと……。
インドネシア留学をした大学時代
そして、なんとかかんとか大学に合格しました!
大学での英語の勉強
専攻語がインドネシア語になったわけですが、英語の勉強は当然のように続けていました。
大学では専攻語の他に「副専攻語」があり、英語を選んでいて、週2回ぐらい授業があったと記憶しています。
大学での英語の授業はとにかくバラエティ豊かで、毎回楽しみでした。
日本人の先生の授業ではニュースの読み方があったり、『欲望という名の電車』という小説を読んだり。
ネイティブスピーカーの先生の授業では、学生が持ち回りで小話をして、内容が本当かどうかをほかの学生が当てる、というのを覚えています。
わたしは、兄がロト(宝くじ)で「2319(ぶさいく)」という数字を選び、見事に当てた、という話をしました。
ちなみに、この「ぶさいく」話、ほんまの話です。
NHKラジオ英会話の「神シーズン」
それから、大学の授業の他に、高3のときに聞き始めた「NHKラジオ英会話」を聞き続けていました。
はじめは受験勉強(リスニング対策)として聞いていたのですが、それを継続し続けていました。目的も無かったのですが、英語の勉強マニアなので(笑)。
正直、高3のときの内容はあんまり覚えていないのですが、大学1年生のときのラジオ英会話は「神シーズン」でした。
内容は1年で完結する英語のラジオドラマで、これがおもしろくて、MD(← なつかしい)に録音して聞きまくりました。
今でもストーリーを覚えていますし、脳内再生できるセリフまであります。
「英語ってこういう楽しみ方もあるんやなあ」と気付かせてくれたのは、間違いなくこのNHKラジオ英会話です。
この神シーズンがCDつきの本になったときは、泣いて喜びました。
CDをPCに取り込みまして、今でもiTunesに残っています!
ちなみに、今ならスタディサプリ 新日常英会話コースもドラマ仕立てでおすすめですね。
専攻していたインドネシア語
大学ではインドネシア語を専攻していたので、毎日インドネシア語の授業がありました。
今考えると、先生同士の連携がなく、同じ文法項目を違う先生から学ぶというのが日常茶飯事でしたが。
それでも、インドネシア語の勉強が好きだったので、まったく気にすることなく。
授業以外でも大学の図書館で、インドネシア語学習書とカセットテープ(貸出禁止)を図書館のごっついヘッドホンを通してインドネシア語を聞き、テンションを上げていました。
もはやマニアというかヘンタイなレベル!
インドネシア語の語学留学
そんな「ヘンタイ」とも言えるレベルにまで達したわたしは、大学4年目に休学し、1年間インドネシアへ。
語学留学をしたわけですが、当初はインドネシア語を話しても「辞書みたいなインドネシア語やな」と友人に言われるありさまでした。
もちろん、「辞書みたい = おかたい」インドネシア語は、日本での勉強で身につけたものです。
まあ、そう言われてもしゃあないな……と思い、友だちとの会話で会話用のインドネシア語を鍛えていきました。
ちなみに留学先である大学でも、教わったのは「おかたい」インドネシア語でした。
最終目標がレポートを書くことだったので、仕方がないんですが。
会社員時代にTOEICで955点
わたしは大学を出てから会社に入りました。
忙しい中でも、英語の勉強だけはわりとちゃんと継続し、インドネシア語はそこそこにしていました。
ところが、新たに中国語にも手をつけてしまいました。さらには、日本語教師になろうと思い立ち、日本語教師の勉強まで。
TOEICのスコアで990点を
大学を出て会社に入ったわたしは、CDつきの英語教材を買い漁ったり、TOEICを受けたりしていました。
相変わらずの英語の勉強オタクっぷりですが、CDつきの教材で一番のお気に入りは、アルクさんの『ENGLISH JOURNAL』。
今も欠かさず読んでいます。
また、会社の福利厚生の一環でTOEICを受けさせてもらったこともあります。
会社のグループ全体で最高得点を取り、表彰までしてもらいました!
わたしの仕事は「英語の勉強」じゃなかったんですけど、なぜか「業務優秀賞」という名称の賞でしたが……。
そんなわたしの最高点は
TOEIC 990点。
つまり満点を取りました。
インドネシア語の勉強からは遠ざかる
大学を出て会社員になってからは、英語の勉強とは裏腹にインドネシア語の勉強からは遠ざかっていました。
メールや電話でインドネシア語を使う機会がありましたが、インドネシア語力のキープ程度。
旅行や出張でインドネシアに行く機会もありましたが、そのたびにインドネシア語が出てこない自分と戦っていました……。
中国語教室にも通い始める
そして、中国語です。なんと、会社員時代には中国語教室にも通っていました。
先生はなんと2人で、日本語ペラペラの中国人と、中国語ペラペラの日本人という、これ以上ない組み合わせだったんです!
授業は週に1回でしたが、毎回ワイワイと楽しく勉強させていただきました。
勉強だけでなく、授業が終わったらワイワイと楽しくお酒を飲む機会もありましたし。
今思えば、このときの動機は「みんなと勉強して飲みたい」という、わりと不純なものでした。
それでも、先生やクラスメートのおかげでそれなりに中国語が話せるようになりまして。
旅行で中国を訪れたときにも、「荷物」ということばの発音を、現地の方にめちゃくちゃほめてもらいました。
ほめるポイントが「そこかい!」という気もしますけどね。
また、HSKという中国語の試験も受け、見事合格。
一番基礎のレベルではあったのですが、不純な動機でもちゃんとした試験に合格できるもんやねんなあ、と今になって思います。
日本語教師になってインドネシアに
そして、社会人になって予定が狂いました。
インドネシアに行きたくて就職したが
少しさかのぼりますが、社会人になってから日本語教師養成講座(学校はヒューマンアカデミー日本語教師養成講座)に通い、日本語教育能力検定試験も受けました。
わたしが日本語教師養成講座に通い始めたのは、社会人1年目。
……と言っても、就職前から、日本語教師を目指していたわけではありません! ちょっと予定が狂ったんですよね……。
インドネシア留学ですっかりインドネシアが気に入ってしまったわたしは、インドネシアに工場のある会社に就職しました。
当然、駐在員としてインドネシアに派遣されることを夢見ていたのですが、雲行きがかなり怪しくなりまして……。
よくよく聞くと、インドネシアに駐在できるのは1人だけだったんです。
しかも、インドネシアの副社長という肩書。かなり経験も積まないといけないわけです。
日本語教師を目指し「日本語教師養成講座」を受講
そこで、別の方法でインドネシアに行くことを検討した結果、日本語教師を目指そうと思ったのです。
平日は仕事でしたので、土日だけの「日本語教師養成講座」のコースがあり、1年ほどで修了しました。
土曜日は半日、日曜日は朝から夕方までを同じクラスメートと過ごしました。
結果、養成講座に通ういちばんの動機は「みんなと勉強して飲みたい!」になっていたかもしれません……。
日本語教育能力検定試験に合格
日本語教師養成講座が終わるか終わらないかのタイミングで、日本語教育能力検定試験も受験しました。
この試験、わたしが受けたときの合格率は 19.3%。
5人受けて合格するのが1人という、まあまあ狭き門でした。試験範囲は広いし、専門用語も多いし……。
ただ、クラスメートと励まし合ったり、専門用語の覚え方を考えてシェアし合ったりして、なんとか合格!
そんなわけで、独学では合格できなかった自信があります。
ちなみに、そのときのクラスメートがこの「英語びより」仲間であるヨスとタカコです。
現在はインドネシアで日本語教師
そして、現在、わたしはインドネシアで日本語教師として生計を立てております。
会社に勤めが6年ぐらいだったのに対し、日本語教師歴は10年近くになりました。
転職がイメージできないぐらい、今の仕事を楽しんでいます。
それは、やっぱり自分のとんがった部分(ことば)を生かしているからに他なりません。
この仕事に出会えてよかったと、心から思っております。
黒歴史
ここまでお読みいただいて、「サトは語学はなんでもいけるのでは」と思われたかもしれません。
わたしもそう勘違いしていた時期があり、ポルトガル語と韓国語をかじってみたことがあったのですが、見事に挫折しました。
完全に、調子に乗ってましたね……。
両方とも、かじったのは学生時代。その黒歴史をひもといてみます。
ポルトガル語に挫折
まずは、ポルトガル語です。
わたしが通っていた大学では、専攻語、副専攻語のほかにも外国語の授業を取ることができました。
母親が勤め先でブラジルの方と働いていたのですが、ブラジルと言えば公用語はポルトガル語です。
なので、なんとなく「ポルトガル語もやってみよう」と思い、辞書を購入。
しかし、授業には2〜3回行っただけで挫折してしまいました。
ポルトガル語を勉強しても、母親との世間話ぐらいしか使いみちがなく。
また、ポルトガル語の授業の単位を取らなくても、他の授業でカバーできましたしね……。
韓国語に挫折
そして、次は韓国語。
大学3年生のときに、「 ハングルが読めるようになりたい 」ぐらいの軽い気持ちで、NHKラジオの韓国語会話を聞き始めました。
ところがです。発音が思った以上にややこしく、「これムリ」と音を上げてしまいました……。
なんか、子音と母音がくっついて、発音が変化するやつです。
ちゃんと覚えてませんが、けっこう初期段階だったと思います。
ポルトガル語、韓国語の学習が続かなかったわたし。
いくらことばの勉強が好きでも、動機が「なんとなく」とか、軽い気持ちでは、やはり続かないということですね。
まとめ
今回は、わたしがどんな外国語を学習してきたか、挫折した黒歴史も含めてご紹介しました。
今思っているのは、「新しいことばの勉強を始めるよりも、インドネシア語や英語に磨きをかけよう」ということです。
中国語は、使う機会が出てきたらまたやります……。
今わたしはインドネシアに住んでいまして、インドネシア語はほっといても使う機会があるのですが、英語はそうはいきません。
なので、こんなことをやって、「なんとか英語力をキープしたろう」「あわよくばアップさせたろう」と、もがいております。
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こちらはサトの書いた記事一覧です。