今回は英語びよりの編集長である「ヨス」について紹介させてください。
わたしがどんな人間なのか、どういう経緯でこんな英語情報メディアを運営しているのかについて書いているので読んでいただけるとうれしいです♪
目次
ヨスってどんな人?
まずはわたしがどんな人間かについて紹介します。
言語の発音マニアです
わたしは一言で言うと「言語の発音マニア」です。
こんなこと書くと「え? なにそれ??」と言われそうですね(笑)。
そのまんまですが、言語の音声・発音について勉強したり、語ったりすることが好きでたまらなくて、国際音声記号(発音記号)が大好物です。
国際音声記号というのは辞書にある「æ, ɑ, ŋ, ɲ, ʃ, ɕ, θ, ð」みたいなやつですね。たとえば「よろしく」を国際音声記号で書くと以下のようになります。
国際音声記号の例
joɾoɕikɯ
ちなみに英語だけでなく、日本語、中国語の発音にもくわしいです。
元・日本語教師です
京都の日本語学校で日本語教師をしていたことがあります。日本語教育というのは「国語」とは違って、日本語を外国人に教える仕事です。
30代の最後のほうに日本語教師養成講座の420時間の講座を修了(ヒューマンアカデミー日本語教師養成講座)して、狭き門とも言われる日本語教育能力検定試験に合格しました。
つまり、言語教育に関してはプロフェッショナルです。
ブログで生活しています
わたしが何者なのかと聞かれると説明が難しいのですが、基本的にはブログを書いて生活しています。
簡単に言うと「ブロガー」と呼ばれる仕事です。
著書には、『効率化オタクが実践する 光速パソコン仕事術』(KADOKAWA)、と『読まれる・稼げる ブログ術大全』(日本実業出版社)があります。
ヨスと言語の関わりについて
では、わたしヨスと言語との関わりについて詳しく紹介させてください。
英語嫌いだった高校時代
中学校で始まった英語の授業ですが、中学校1年生のときは好きな教科でした。
当時は早期英語学習も盛んではなかったため、スタートするラインが皆同じだったため、点数も良かったです。
ところが、高校になったとたん、覚える単語の数が果てしなくなっていき、どんどん落ちこぼれに。
テストで良い点が取れないものですから、英語嫌いはますます加速しました。
高校3年間で覚えた英語のフレーズは「kill time(暇をつぶす)」だけです。
アメリカに留学
そんなわたしが高校卒業後、進んだのは「デザイン」という方面です。
デザイン専門学校に入学し、イラストレーションを専攻し、大好きな絵ばかりを描いていました。
ところが、学校にいた留学生と仲良くなったことをきっかけに、海外に興味を持ち始めます。
そしてなんと! 在学中20歳のときにアメリカに留学しました。
……と書くと「すごい!」とか「英語ペラペラになったの?」って言われそうですが、そんなことはありません。
残念ながら留学していたのは半年だけだし、ペラペラにはなりませんでした。
そもそも留学とは言っても美術の大学だったので、英語も大切ですが制作の方が重要でしたし(笑)。
アメリカ人ルームメイトのおかげで英会話を身につける
そんなわたしですが、アメリカ人ルームメイト × 2名と過ごしたおかげで生活で使う英語はふつうにしゃべれるようになりました。
よく聞く表現で言うと「サバイバルイングリッシュ」ですね。
ただ「アメリカに来る前にもっと英語の勉強をしてたらなぁ……」と、すごく後悔しました。
高校時代から、英語の勉強を一切していなかったですから。
言語が大好きなことに気づく
アメリカから帰国後、子ども英会話で講師のアルバイトをしていましたが、「話せるが、文法や単語のスペルには自信がない」という自分を自覚してしまいました。
「もっと英語の勉強をしないと、自分が教えるなんてありえない!」と思い、1年で英会話講師の仕事を辞めました。
その後は独学で英語の勉強をはじめることになります。
洋楽に狂ったようにハマる
わたしと英語との関わりで忘れてはいけないものがあります。
それは英語で歌われている音楽、つまり
洋楽です。
気づかないうちに「英語」の音声に魅了されていたわたしは、狂ったように洋楽にハマりました。
わたしの20代を一言で言うと洋楽オタクです。これまでに音楽CDに使ってきたお金は余裕で100万円を超えているほど。
今となって思うのは、毎日洋楽ばかり聞いていたのも意味があったんだろうなと。
英語のリズムや発音の勉強を知らずにしていたのだと思います。
英語の勉強を独学で続ける
同時にワーキングホリデービザでカナダに行こうと思っていたこともあり、英語の勉強をはじめます。
年齢制限と、行けるタイミングが合わずワーホリでは結局行けませんでしたが……。
やっぱり英語が通じなくて悔しい思いをしたからですね。
毎日地道に「ラジオ英会話」を聞いたり、いろんな教材をやってアメリカに行く前からすると信じられないくらい英語を勉強し始めました。
3年ほどみっちりと英語の勉強を続けたので、文法にもくわしくなりました。
言語の専門家である「日本語教師」に
英語と触れ合う生活の中で、わたしは気づいてしまいました。
わたしは「言語が大好き」なんだということに。
つまり英語だけでなく日本語をはじめとする言語自体に興味があることに気づいたのです。
そして一大決心をします。
日本語教師養成講座を受講する
新聞の折込チラシで偶然見かけた「日本語教師養成講座」という言葉を知り、直感で「これだ!」と思い講座を受けることに。
日本語教師というのは「国語の先生」とは違い、外国人に日本語を教える先生です。
ヒューマンアカデミーの日本語教師養成講座で420時間の講義を受けました。
言語学についての勉強が楽しすぎて、めちゃくちゃ勉強したこともあり、難関だと言われる「日本語教育能力検定試験」に一発で合格。
「音声学」という学問との運命の出合い
日本語教師の勉強をする中で「音声学」という、言語の音声にフォーカスしたマニアックな学問に出合いました。
これが運命の出合いでした。
これがわたしにピッタリとハマりまして、音声学のとりこに。
国際音声学記号(International Phonetic Alphabet = IPA)という記号を使って人間の話す言葉を記号にするのですが……これが楽しすぎる、おもしろすぎる。
もちろん、学んだのは日本語の音声についてですが、日本語の音声をくわしく知ることでほかの言語の発音を習得することに役立つことに気づきました。
英語の音声学の勉強も始め、1人でただひたすら研究(=遊び)の日々。
日本語教師・そしてWEBの世界へ
日本語教師の資格も取り、晴れて日本語教師に。
日本語教師として働く
日本語教師は働きたい人が多いにも関わらず、ボランティア以外の「働く場」がほとんどありません。
そこで、片っ端から「先生の募集をしていませんか?」と日本語学校に営業をかけました。
わたしは運がいいので、京都で日本語教師として日本語学校で働くことになりました。
ただ、給料が安かったことと、対面で教えることが向いていないと気付き、1年で辞めることに。
働き手がどんどん減っている現状の中、日本語教師の給料が安いという問題は、なんとかしてほしいですね……。
WEBの世界へ
その後、興味がWEBの世界へと移り、ネットショップ店長として7年働きました。
「自分のWEBサイトを持ちたい」という夢があったので、その技術を学ぶためにです。
仕事を辞め、バセドウ病になったのをきっかけに「ヨッセンス」というブログを始めます。
ブログはどんどん人気ブログになり、毎月100万回ほど読まれるブログに成長しました。
「英語びより」を開始する
そして、今までに学んできた言語の知識、
言語に対する愛情を発信したくてこの英語情報メディア「英語びより」を開始しました。
わたしは、「外国語として日本語を見る」という違った視点を持っています。
そんな立場から英語という言語のおもしろさを伝えられればなぁと思っています。