今回は、正確な文法でも日本での考え方を基準に話すと違和感が生じるということについて、少し詳しく書きたいと思います。
目次
国際結婚は「文化の差」がすごい
夫と出会って10年ほどになり、コミュニケーションもそれなりにとっていると思います。
でも、いまだに「この言い方や考え方がわからない」と思うことがしょっちゅうあります。日本人同士でも普通にありますよね。
育ってきた環境の影響もあると思うのですが、私たちのように国際カップルだと、それにプラスして文化的な違いも大きく絡んできます。
言語は文化の一部
言語は、文化の一部なので、このふたつを切り離すことはできません。言語はコミュニケーションのツールのひとつで、それぞれ背景にある環境が違うのです。
日本人同士よりも国際結婚の場合の方がもっと大きな違いがあります。なので、アメリカ人の考え方をよく知らない私が、ただ単に英語というツールのみを使って夫と話しても、うまくいかないことがあるのも当然ですよね。
言葉を間違えるとコミュニケーションがうまく成立しません。でも、逆に文法的にどんなに上手に話しても、自分のバックグラウンドだけを基準にしていれば、コミュニケーションがうまく成立しない時もあるのです。
たとえば感謝するときに日本語では「うわー、すみませんー」と言ったりしますが、そこを「I'm sorry」なんて言うと「この人はなんで謝ってるんだ?」となるわけです(笑)。
アメリカのアニメから「文化の差」を学ぶ?
私が見ているいくつかの子供向けのテレビ番組のひとつに『Daniel Tiger’s Neighborhood』というアニメがあります。
Daniel(ダニエル)というトラの男の子の家庭や学校(プリスクール)でのことが描かれているのですが、これが身の周りで起こりうる、アメリカ人の英語の感覚、日本との文化の差を知るのにとてもいいんです。
以前書いた「子供向けのテレビ番組が英語の勉強にオススメな理由」で述べたように、このアニメはストーリーが単純で、すごくわかりやすいですし。
たとえばこんなお話が……
たとえば、ダニエルが家族と公園にやってきた時に、友達がお兄さんと遊びに来ているのを見つけます。
ダニエルは友達に「一緒に遊ぼう」と声をかけます。すると友達は「No」と言うのです。お兄さんと遊んでいるから、今は遊べないと。
ダニエルはそう言われて悲しくなります。落ち込むダニエルに、両親は「それは仕方がないから、ほかにできることをしなさい」と言うのです。そこにダニエルの妹が寄ってきて、「僕には(ここに)妹がいる。一緒に遊ぼう!」となるのです。
「みんなが一緒に遊ぶこと」
日本ではどうでしょう? 今は考え方が変わっているかもしれませんが、私が子供の時は「みんな仲良く一緒に遊びなさい」と言われた気がします。
なので、私の感覚からすると、まず友達がお兄さんを優先した時点で「 ? 」です。
それを聞いたお兄さんもです。同意して、ダニエルを仲間に入れないところで、さらに意味不明です。ダニエルの両親もそれを普通に受け入れているのも、また不思議でした。
日本だと「もう一回(仲間に入れてもらえるように)お願いしてみなさい」と言うのではないでしょうか。
テレビから夫の意見が普遍的なものだと理解
ほかにも「あぁ、こういう考え方なのか!」と思ったことが何度もありました。テレビでしていることなので、それが一般的な考え方なのでしょう。
考えてみると、夫が言っていたことと繋がることもありました。私の場合、アメリカ人の友達もほとんどいないので、夫の言うことだけでは統計的に不十分です。
テレビでやっている内容と夫の意見が共通しているのを見て「夫の考え方が特異ってことではないのか!」ということがわかりました。
テレビで見ると客観的に見えて納得もできますね。大げさかもしれませんが、自分(日本人)の考え方と違うことがわかった時は、すっきりと視界が広がったようでした。
異国で日本人ママが子育てをするときの注意点
もし私がこういうことを知らないままだと、私は日本人の考え方のまま英語を使って娘にいろいろ教えるところでした。
英語は間違っていなくても、間違った常識を教えてしまうところだったのです。
もちろんアメリカ人の一般的な考え方すべてを知るのは無理ですが、アメリカで生活している以上、こちらでの考え方を知る必要があると思っていますし、親として教えないといけないことも多いでしょう。
子供向けの番組ですが、言葉の上達のためだけではなく、いろいろと考えさせられました。娘が番組の内容を理解しているとは思いませんが、しばらくは私自身のために見続けようと思います。
まとめ
これを読んでくださっている方のほとんどは日本在住だと思います。
周りに外国人がいる方に知っておいてほしいのですが、つい出てくる言葉だけで判断するのをちょっと待ってください。
言葉の誤用の可能性に加えて、文化の違いからくる「考え方の違い」の可能性も心に留め置いてください。
そう思うと、異文化交流は複雑ですね。でも、吸収できることも多くて刺激的だし、やっぱりやめられません……。