今回は僕がどんな人なのか、どんな風に英語と関わってきたのかを自己紹介します。
それでは、僕の人生 & 19年間の講師ヒストリーをご覧ください!
目次
サッシってどんな人?
まずは僕がどんな人間なのかをまとめてみます。
英語の文法マニア
英語びよりのライター「サッシ」とはどんな人かというと、まずは「英語の文法マニア」です。
はい。僕はみんなの嫌われ者である文法が大好きなんです(笑)。
英語を学ぶときは、大まかに以下の4つのジャンルに分かれますよね?
英語学習の4つのジャンル
これらの中で、ハッキリ言って「聴く・話す」よりも「読む・書く」のほうが得意です。
旅行したり日常会話くらいなら英会話もできますが、文章を読み書きするほうが圧倒的に力を発揮しますね。
冗談抜きで、これまでに英文法の本(日本語で説明されたもの)を10冊以上は繰り返し読破してきています。辞書や単語帳も大好きです。
ふつうに英文法の勉強が楽しいので、インターネットで海外の英文法サイトもよく見るようになりました。ええ、趣味で。
日本の学校で教えている文法と海外の学校で教えている文法って、実は根本的に仕組みが違うことも多いので、比べてみると面白いんですよね〜。
このままさらに英語文法マニアになってやろうと企んでいます(笑)
早稲田卒・塾講師歴19年
英語の文法マニアな僕ですが、そうなってしまった大きな原因の1つが「塾講師」です。
18歳(大学生)のときの家庭教師・塾講師のアルバイトから始めて、なんだかんだでもう約20年の塾講師歴があります(1981年生まれです)。
幼い頃にたまたま近所の「帰国子女のお母さん」に英語を習ったおかげで、中学・高校と英語に困ることはまったくないまま大学受験を経て早稲田大学 教育学部に進学して、すぐに家庭教師や塾講師のアルバイトを始めました。
家庭教師・塾講師として英語を教える場合、圧倒的に「英会話」よりも「学校の英語・受験英語」を教えることになるんですよね。
「分かりやすく英文の仕組みを説明する」ことに全エネルギーを注いでいたので、さらにめきめきと英文法オタク度が上がっていきました(笑)。
家庭教師・塾講師は大学時代だけのつもりだったのですが……人生わからないものですね。
大学を卒業して半年後に再会した友人に「一緒に学習塾で起業しない?」と誘われて、そこからさらに塾講師の道を歩むことになります(詳しくは後述しています)。
プロブロガーとしても活動中
塾講師を続けながら「FMラジオのパーソナリティ」や「保育所(民間託児所)の運営」なども経験しつつ、現在は「プロブロガー」を主な仕事にしています。
毎月100万回以上読まれるブログ「毎日が生まれたて」を中心に、複数のWEBサイトの運営を始めました。
ほんと……人生わからないものですね(笑)。
塾講師のときに英語以外に「国語・小論文」や「志願書・エントリーシートの添削」も担当していたので、そもそも「言語化」にず〜っと関わってきたからブログとの相性は抜群でしたよ。
2016年の8月にブログを開始して、学習塾・保育所の運営をしながらほぼ毎日書き続けて、2年半くらいでブログだけでも生活できるようになりました。
でも、ブログを始めたときは文章を書くという点以外は「ブログってなに?」という右も左もわからない状態でした。
「ん〜これは1人じゃムリだ。よし、誰かに教わろう!」と思って入ったブログサロン。そこのオーナーが「英語びより」の編集長であるヨスさんです。
僕の「英文法オタク」と「わかりやすく説明するスキル」を活かして、楽しく記事を書かせてもらっています。
出会い・ご縁って面白いですよね〜。
ちなみに、今も直接の知り合い限定でSkypeを使って英語講師も続けています♪
サッシと言語の関わり
では、ここからは僕と言語の関わりヒストリーを紹介していきますね。
徒歩1分で英語を学んだ小学生時代
まずは小学生時代です。
純日本人の両親のもとに生まれたので、幼い頃から英語に囲まれていたということはありませんでした。
そして僕と英語の最初の出会いは「近所の友達(帰国子女)のお母さん」でした。
友達(帰国子女)のお母さんに英語を教わった
東京に生まれてから親の転勤で名古屋のほうに引っ越したのですが、そこで仲良くなった友達が帰国子女だったんです。
ちょっとどこの国に行っていたのかは忘れてしまいましたが、たしかアメリカかイギリスだったと思います。
その友人のお母さんが英語教室をしていたので、そこに僕は通うことになりました(母親同士も仲がよかったので、その流れでそうなったのかな?)。
小学校の3年か4年のころで、たしか週に1回か2回、学校が終わったあとにご自宅の一室の教室に通っていました。
僕の家から3軒隣くらいの超近い距離で楽だったし、レッスンがはじまる時間までは2階で友人とTVゲームをしていればよかったし……めちゃくちゃ楽しかったですよ(笑)。
その友人のお家がまた素敵だったんですよね〜。庭は芝生でパターゴルフができたり、洋風のインテリアのリビングルームには緑があふれていてセキセイインコが飛んでたり。
英語とともに、「こ、これが欧米かっ!」というのを感じさせてもらった原体験ですね。
最先端の英語教育を受ける
いま振り返ってみると、英語のレッスンは会話も文法も両方でした。
アルファベットの読み書きの練習をした記憶もあるし、発音記号だけで英単語を読むことをしたり、対面で英会話のレッスンをした記憶もあります。
「家出のドリッピー」という英会話教材のテープを毎回貸してもらって、家で聞きながらシャドーイング(音声を追っかけて声に出す)ということもしていましたね。
当時の日本の小学生としては、かなり最先端の英語教育をしてもらったと思います。
先生、お母さん……本当にありがとうございます!
洋楽に目覚めた中学・高校時代
英語教室に3年くらい通わせてもらったおかげで、中学に入ってからの英語は超楽勝でした。
毎年、教科書や副教材は自分で勝手に読み進めて、4月のうちにぜんぶ読み終えていたという感じです。
英語の授業中は寝てたり友達と遊んでたりしているくせに、成績はずば抜けて良いという、先生にとって確実に厄介な生徒だったんでしょうね(笑)。
中2で洋楽に目覚める
英語教室にはもう通っていなかったのですが、その頃に出会った大きな英語の先生が「洋楽」です。
たしか中学2年生のときにギターを始めて、それと同時に洋楽にも目覚めていきました。
家に「Beatles(ビートルズ)」や「Carpenters(カーペンターズ)」のレコードがあったので、そこから聴き始めましたね。母親が好きだった「Olivia Newton John(オリビア・ニュートン・ジョン)」もよく聴きました。
住んでいたのが名古屋の周辺の「小牧市」という田んぼも多い地方で、しかも僕の部屋が母屋から庭を隔てた物置小屋みたいなところだったんです(まさに漫画『タッチ』のような感じ)
歌うことで英語の発音も上達
だからギターを弾いたり歌ったりしてもぜんぜん問題なかったので、歌詞カードを見ながら洋楽の歌を毎日のようにカラオケしてました。
その名残で(?)、今も毎朝ギターを持って「ジョニー・B.グッド」(Johnny B. Goode)」を歌うのが習慣です♪
英語教室に通わなくなってからも洋楽の歌マネが日課になったおかげで、発音はどんどん上達したようです。
高校に入って最初の英語の授業で、教科書の音読を当てられたので抑揚たっぷりにスラスラと読みまくっていたら先生に「……え〜と、帰国子女なの?」と言われたことを覚えています。
高校時代は「Mr.Big(ミスター・ビッグ)」や「Deep Purple(ディープ・パープル)」などの洋楽ロックバンドが好きでした。
文化祭のステージで「Eric Clapton(エリック・クラプトン)」の弾き語りをしたら、生徒よりも年配の先生たちに大好評だったのが良い思い出です(笑)。
文法と単語で突破した受験時代
お次は受験時代です。
「人間」とか「哲学」について深く学びたかったので、高校卒業後は大学進学を希望していました。
両親と膝を突き合わせて真剣に話して学費は出してもらえることになり、本当にありがたかったです。
その他のお金は奨学金とアルバイトで工面する方向で決まりました。
塾・予備校には行かず
文学部などを受験するのになぜか高校では「理系」のクラスにいたので、しばしば高校を「自主休講」させてもらいつつ、自分で受験勉強を進めました(塾・予備校には行きませんでした)。
ほんと、なんで「理系」を選んでたんでしょうね(笑)
英語に関しては以下の4つのジャンルの参考書・問題集をそれぞれ3冊くらい何周もやり込みました。
4つのジャンル
ちなみにお気に入り単語帳は『速読英単語(Z会出版)』です。
通称「そくたん」と呼ばれるやつですね。面白い話題の英文を読みながら自然に単語を覚えていけるのでイイんですよ〜。
苦労することなく早大・広大に合格
もともと英語は好きで自分でずっと勉強していたので特に受験に苦労することもなく、無事に「早稲田大学」と「国立 広島大学」に合格しました。
早稲田大学は「文学部」「教育学部」「人間科学部」の3つを受けてすべて合格しましたが、「学ぶとか教えるってこと自体を深く知っておけば、一生ずっと楽しく勉強できるな〜」と思って早稲田大学の教育学部を進学先に選びます。
自分が大学受験してみて体感したのは「読み書きは圧倒的な単語力と文法力で突破できる!」ということです。
もしも大学受験するときは、自分に合いそうな英文法書を何周もやり込んで、単語帳を3冊ほど完璧に身に着けてみてください。
センター試験くらいなら8割は切らなくなりますよ。
おすすめの参考書の相談、大歓迎です。
相変わらず読み書きは得意だった大学時代
大学に入ってから、最初の2年間は語学の授業が必修でした。
第二外国語でフランス語を選択
英語に加えて第二外国語を選択する必要があったのですが、僕は「フランス語」を選びます。
理由は『オー・シャンゼリゼ(Les champs Elysées)を歌えるようになりたい!』という、ただそれだけです。超単純(笑)。
フランス語の授業は文法が中心でしたが、英語は中学・高校と違って会話の要素がグッと増えました。
英語・フランス語共に成績は「秀」
たとえば、ネイティブの先生に対して英語でプレゼンテーションをする授業だったり、毎回BBCニュースをひたすら聴き取ってノートに書き写す授業だったり。
会話の授業ではネイティブの先生はもちろん、生徒でも話すスピードが早い人が多かったので、小学生のとき以来「英語で対話」からしばらく離れていた僕は苦戦しましたねぇ。
でも、そこで「あ〜こりゃ対面で英語で話す機会をもっと作らなきゃいかんな」と身にしみたのは良かったです。
会話の訓練をがんばりつつ、読み書きは依然として得意だったおかげもあり、英語もフランス語もすべての授業で成績は最高ランクの「秀」をもらえました。(「S」や「A+」にあたる)
その後、キューバやペルーに旅行に行くときに本でスペイン語を学びまくってから現地で話したら「なんでそんなにスペイン語を喋れるんだ?」とよく驚かれたこともあります。
どうも僕は「本で文法から吸収する」というのが得意みたいですね。
英語・国語・小論文を教え続けた塾講師時代
大学を卒業して、まず何をしていたかというと……何もしていませんでした(笑)。
「この会社で働きたい!」か「この人と働きたい!」という出会いがあったところにまず就職しようと思って就職活動をかなり行い、数社から内定も頂きました。
でも、どうもピンと来なかったのですべて辞退させていただき、とりあえずゼロから始めることにしたんです。
友達と「塾」で起業する
さて、ここからどうしようかな〜とニート・フリーターとして過ごしていたとき、大学時代の友人に再会しました。卒業して半年後くらいのことです。
東京の新宿の高層ビルにあるカフェでお茶していると、当時サラリーマンをしていた友人が改まって僕に言ってくれました。
「おれ、会社を辞めて塾で起業しようと思うんだ。一緒にやってくれないかな?」と。
塾の起業というアイデアそのものも面白かったですが、彼の「会社を大きくして、やがて起業したい若者にお金を出してあげられるようになりたい」という想いに共感したのが一番のきっかけです。
おかげさまで事業は右肩上がりで成長し続けられました!
8年間に渡って塾で講師を
僕は「英語」「国語・小論文」「政治経済」などを担当し、そこで8年間に渡ってのべ数百人に授業することができました。
もう最初の教え子は30歳前後になっているのですが、再会して一緒に飲んでいるときに「うわ、この人の説明はなんて分かりやすいんだ〜って衝撃でしたよ」とか言ってもらえると本当にうれしいですね。
オリジナルの教材・プリントを作るのとか、最高に楽しいです!
その後、2013年に僕はそこを離れて沖縄に移住し、現地で学習塾と保育所(民間託児所)を新たに運営することになります。
ちなみに、資格としては僕は「中学・高校の教員免許(社会科)」と「保育士」の所有者です。
プロブロガーをしながらスカイプ講師もしている現在
そして、2019年現在です。
現在は沖縄から再び東京に戻り、プロブロガーとしてブログを更新すること以外にもライター業・講師業もさせてもらっています。
沖縄時代の生徒や直接の知り合いにはSkypeを使ってオンライン講師も続けており、なんだかんだで講師歴は19年になりました。
やっぱり自分は「ことば」に触れるのが好きなんだな〜とあらためて実感しています。
まとめ
いろいろな英語の記事を書きつつ、この「英語びより」ではこれからも僕はやはり「英文法」のことが中心になると思います。
文法の基礎からマニアックな知識まで分かりやすく紹介していくので、末永くよろしくお願いします!