今回は、少し文化的な側面から、英語の世界を紹介したいと思います。それは「察する」ということについて。
目次
アメリカではよくお願いする・される
アメリカに来て思ったことですが、こちらの人たちは、よく人にお願いして手伝ってもらいます。
逆に「手伝おうか?」の声もよく聞かれます。
……と言っても、日本人がお願いすることが嫌いなわけではありません。
人から手伝ってもらえないわけではありません。周りの人と助け合いながら生きています。
ただ、日本独特の「察する」という文化が、わざわざ「手伝って!」や「手伝おうか?」と声かけをしたりすることを、間違いなく減らしているように思うのです。
良くも悪くも。
日本は「察する」文化
日本人が、日本で、その「察する」という文化の中で暮らすには、そんなに問題がないんです。
たまに察せない人がいても、「この人、気が利かないなぁ」と思うくらいでしょうか。でも、人それぞれですし、そんなに気になりません。
必ず気が細やかで、気の付く人が周りに数人はいますし、日本の文化では、そういう人が素晴らしいと思われる傾向にもありますよね。
一から十まで言わなくても、途中でさらっと先を読んでくれたり、先回りするようにさりげなく助けてくれたり……
なんというか、かゆいところに手が届くような感覚です。
ところが、その文化の中で暮らした日本人が、その感覚が根付いていないところで暮らすとなると、けっこう大変です。
なかなか思うように察してくれません(泣)。
言葉でお願いすることに慣れていない日本人
察しの文化の中で暮らしていると、つい「察してくれること」を期待してしまうんです。
なので、察してもらえないとイライラしてしまいます。それに、今まで察してもらってきたので、「手伝ってほしい」とお願いすることが上手にできないんです。
つまり、言葉でお願いすることに慣れていないんですね。
みなさんは、「手伝って!」とお願いすることになんとなく気をつかってしまいませんか?
特にプライドが高いというわけではないのに「手伝って!」とお願いすると、自分ができない人間になったような気がしませんか? なので、何かをお願いするときは、よっぽど自分の手が回らないとき。
私だけですかね?……こういうの。
前述しましたが、こちらの人は「お願いすること」に慣れています。全く察しないわけではありませんが、「手伝って!」とお願いするまで、あまり手を出してきません。
よく言えば、個人を尊重しているのかもしれません。それぞれの領域を勝手に荒らさないし、そもそも自分には関係がない、といった感覚かもしれませんね。
英語でお願いするときの言い方は?
では英語でお願いするときの言い方を見ていきましょう。
言い方はいろいろありますが、手伝ってほしいときは次のように言います。
I need your help.
(手伝ってほしいんだけど)
Could (Can) you help me ?
(手伝ってくださいませんか(くれない)?)
ほかにもこちらのような言い方も。
I have a favor for you.
(お願いがあるんだけど)
Could (Can) I ask you a favor ?
(ちょっとお願いしてもいいですか[いい]?)
※「Could」は「Can」よりも丁寧な言い方
あとは、お願いする側ではありませんが、次のような表現もよく耳にします。
Let me know if you need the help.
(何か手伝ってほしいことがあったら知らせてね)
これって、日本語でもよく言いますよね。「何かあったら言ってね」と。でも、本当に「何か言う」人ってどれくらいいるんでしょう?
だいたいは自分の中で消化して、よっぽどできないときだけ「ごめん、悪いんだけど……」とお願いするのではないかな。
やっぱり言葉でお願いできない……そして負の連鎖
私は、手伝ってほしいとなかなか言うことができず、いつも家事と育児に追われています。
夫はこちらのようにいつも言います(←しかも、のんびりしながら)。
何でも言ってくれれば手伝うよ
でも、私はそれが言えず、ピリピリして、手が回らず、最後には自爆。
こっちからお願いする前にやってくれないかな~と思ったりするのですが、なかなか動いてもらえません。
期待するから、動いてもらえないことにまたイライラ。悪循環です。
わざわざ口に出してお願いしないといけないなんて、「面倒くさい!」なんて思ったりもしませんか?
でも、その一言を出すことができれば、機嫌よく手伝ってもらえるんです。
意地になっているわけではないので、さっさと自分でも「お願いすればいいじゃない!」と思うんですが、なかなか習慣を変えるということは難しいですね。
育児と家事にはきりがありません。少しでも自分の体の負担を軽くするために、心に「言葉でお願いする」という負担を少しかけ、お願い上手な人になりたいです。
困っているときには「手伝って!」と声をかけてほしいアメリカ人
アメリカの人は、お願いすることにも慣れているので、手伝うことにも慣れています。逆に、お願いされないと、あてにされていないように感じて、寂しく思うそうなのです。
私は「(私が何をしてもらいたいか)察してほしい」と思うのですが、次のように言われます。
I can't read your mind(思っていることは読めないよ)
「手伝ってほしいことは、具体的に言ってくれ」という感じです。
逆にお願いしないと、夫は次のようなことを言ったりします。
全部自分でどんどんやって……僕なんていなくてもいいよね……
いやいや、何でも手伝ってくれればうれしいんですけど、「言えない」んですよ私。
また、知人の話ですが、子どもを出産したときに、周りの人から「何かあったら声をかけてね」と言われていたものの、彼女は周りの力を借りることもなく、がんばっていたそうです。
ある日どうしても手伝ってほしいときがあったそうなのですが、それまでひとりでがんばりすぎて、気づくと気軽に頼める人がいなかったそうです。みんな「彼女は助けがなくても大丈夫」と、距離を置いていたんですね。
アメリカでは、やっぱり「ずうずうしいかな?」と思うくらい、人を当てにしてお願いする方がいいんだな……と思った事例でした。
とにかく「察してもらう」ことを期待するのはNG
そうは言っても、言葉でお願いするのであって、察してもらうことに期待してはいけません。
たとえば、私の夫の場合ですが、前に手伝ってくれたときに、過剰なくらい「ありがとう!」と言っても、「すごくすごく助かった!!」と持ち上げておいても、それはそれらしく(←もちろん悪気はない)……あまり効果がありません。
「前にすごく喜んでもらえたから、またしてみよう!」という感覚には、あんまりならないようです(泣)。
3年暮らして少しわかったことは、「察せない」のではなく、「察しない」んです。
「わざと(察しない)」のではなく、「ただ(察しない)」んです。そういう思考回路のようです。謎です。
まとめ
いかかでしたか? 今回の件は、もしかしたら、性格の違いで、国際的な文化の違いではないかもしれません。
でも英語ではよく「手伝って!」や「手伝おうか?」と声をかけあい、日本の文化は「察する」という、全く違う行動なので、書いてみました。
英語を話す外国人とカップルの方で、言葉に出してお願いできない方、私と一緒に気軽に「手伝って!」や「○○してほしい!」と声をかけられるようにがんばりませんか?
最初は心には負担かもしれませんが、そのうちに慣れると心も体も楽になれますよ、きっと!!
そして、時間はかかりますが、長く一緒に時間を過ごすと、パートナーの方も少しは察してくれるようになってくれるので(私の夫も、全く察せないわけではありません)、お互いの心の負担も軽くなるはずです。
がんばりましょう!!