テレビなどを見ていると「鼻濁音」という言葉を聞くことがありますよね。
「鼻濁音」というのは、日本語の「が」の発音が、鼻にかかったような音声になる変化のことを指します。
つまり、日本語の「が」には2種類の発音があるということなのです。
今回は、日本語の「が」と鼻濁音の「か゜」(←この表記については後述)の発音、表記、発音記号、理由、そしてルールについてバッチリ紹介します。
鼻濁音の「が」とは?
鼻濁音というのは、日本語の「が」の発音が鼻にかかったような音になる音声変化のことです。
これは、学校では習わない驚愕の事実なのですが、日本語の「が・ぎ・ぐ・げ・ご」には2種類の発音があるのです。
わたしはこの事実を、29歳になって日本語教師の勉強をするまでまったく知りませんでした。
日本語にある2種類の「が」について
では日本語にある2種類の「が」の違いはどのようなものでしょうか?
ふつうの「が」
まずはふつうの「が」の発音を聞いてみてください。
「……だからなに?」と言われそうなぐらい、思っていたとおりの「が」の発音だと思います。
鼻濁音の「が」
では、今度は日本語にあるもう1の「が・ぎ・ぐ・げ・ご」の発音、つまり鼻濁音の「が」の発音です!! お聞きください!
なに?! この鼻にかかった変な発音?!
とにかく、この通常とは違う「が行」の発音を「鼻濁音」と呼んでいます。
鼻濁音の「が」の発音の仕方とは?
では、具体的にはこの2種類の「が」はどのように発音しているのでしょうか?
その違いを発音記号と口の中の図を使って紹介しますね。
ふつうの「が」の発音の仕方
鼻濁音の「が」との違いを理解しやすくするために、まずはふつうの「が」の発音から見てみます。
ふつうの「が」を発音するときには、こちらの図のようにします。
図を見るだけではわかりづらいので説明をすると、次のように口の中を動かして発音しています。
ふつうの「が」の発音の仕方
- 舌の根本あたりを上あごにくっつける
- 舌の根元を上あごから勢いよく離すときに破裂させ「が」と発音する
わたしの発音した音声をもう一度お聞きください。
こちらは簡単にできるはず!
鼻濁音の「が」の発音の仕方
では今度は、鼻濁音の「が・ぎ・ぐ・げ・ご」の発音です。鼻濁音を発音するときの口の中はこのようになっています。
先ほど紹介したふつうの「が」の発音と舌の構えは全く同じです(上の図の中に [ ŋ ] という発音記号で表現していますが、こちらは後述しますね♪)
ただ違うのは、音を鼻から出すということ。発音の仕方を説明しますね。
鼻濁音「が」の発音の仕方
- 舌の根本あたりを上あごにくっつける
- 口から音を出さず、鼻から音を出して「んが」のように発音をする
わたしの発音しているものをお聞きください。
「んが」「んぎ」「んぐ」「んげ」「んご」みたいに鼻にかかっているように聞こえますよね?
まさに、鼻から音を出しているから「鼻濁音(鼻から音を出して濁らせた音声)」と呼ばれているのです。
本来「鼻濁音」という言葉は、「鼻から抜ける濁音」という意味ですが、この音声変化をするのが日本語では「が行」だけです。そのため、「鼻濁音 =『が』行の鼻濁音化」という意味で使われます。
鼻濁音の「が」の表記とは?
上で紹介したように、ふつうの「が」と、鼻濁音の「が」は、発音としてはまったく違います。
鼻濁音の「が」は表記上の区別はない
ところが、文章の中で書くときには区別しません。
例
そのラーメンは、私が食べました。
この例文の「が」は、発音としては鼻濁音になるのですが、ふつうの「が」と書くときは同じ表記です。
でも、どうしても区別したいときはどうすればいいのでしょうか?
鼻濁音の「が」を「か゜」にする表記?
一般的には使われませんが、言語学ではこんなふうに表記を分けて書くこともあります。
2つの「が」の表記
これを、先ほどの例文に適応させてみますね。
例
そのラーメンは、私か゜食べました。
なんじゃこりゃー!
……と叫びそうになりますが(笑)、こうやって表記を区別しておくとどちらの発音をすればいいか分かりやすいですよね。
繰り返しになりますが、一般的にはまったく流通していない表記なので、使っても誰にも伝わりません。
ちなみに「が」と「か゜」のように、表記としての区別があれば、鼻濁音の存在はもっと知れ渡っていたでしょうね。
鼻濁音「が」の発音記号とは?
今度は発音記号(参考: 国際音声記号)についてです。
ふつうの「が」と、鼻濁音の「か゜」の発音記号を見比べてみましょう。
ふつうの「が」の発音記号
まず、日本語の「が行」を発音記号ではこちらのように表記します。
が | [ ga ] |
---|---|
ぎ | [ gi ] |
ぐ | [ gu ] |
げ | [ ge ] |
ご | [ go ] |
たぶん、思っているとおりの表記だと思います。
さらに詳しくは、発音記号 [ g ] についてをご覧ください。
鼻濁音「か゜」の発音記号
では今度は、鼻濁音の「か゜」の発音記号ですが、
子音として [ ŋ ] を使います。
そのため、「か゜・き゜・く゜・け゜・こ゜」の発音を発音記号ではこう書きます。
か゜ | [ ŋa ] |
---|---|
き゜ | [ ŋi ] |
く゜ | [ ŋu ] |
け゜ | [ ŋe ] |
こ゜ | [ ŋo ] |
じつはこの発音記号ですが、英語の「king [ kíŋ ] 」の「ng」の発音記号と同じです。
さらに詳しくは発音記号 [ ŋ ] についてをご覧ください。
「が」が鼻濁音になる理由
さて、ここで疑問です。
なんで、「が」が鼻音化(鼻から出す音に変化させること)され、鼻濁音になるのでしょうか?
なんで、いちいち発音を変える必要があるの?
では、こちらの2つを聴き比べてください。
「これがりんごです」を、ふつうの「が」と鼻濁音の「か゜」で言っています。この順番に言っていましたよ!
2種類の「が」で発音
- これが りんご です
- これか゜りんこ゜です
どちらがやわらかく聞こえますか?
ふつうの「が」や「ご」の方が、鼻濁音より強く(キツく)聞こえませんか?
文章の最初の「が行」は鼻濁音にならない
ちょっと話が飛びますが、ここで鼻濁音の「が」のルールについてお話させてください。そのほうが理解しやすいので。
じつは、すべての「が・ぎ・ぐ・げ・ご」が鼻濁音になるわけではありません。
いくつかのルールがあり、その中でも代表的なものが「語頭(文の最初の言葉)」に「が行」が来るときは、鼻濁音にならないというルールです。
説明がややこしいので、次の例文を見てください!
語頭は鼻濁音にならない
がっこう で りんこ゜の え を かいた
(学校でリンゴの絵を描いた)
文の最初の言葉(例文では「がっこう」の「が」)は鼻濁音にならないのです。
文章の途中がスムーズに聞こえるため
それに対して、文章の途中に出てくる「が」は基本的に鼻濁音になります。
なぜでしょうか? 先ほど、「鼻濁音のほうがやわらかく聞こえる」と書きました。
つまり、文章の頭に来る「が」は強く聞こえてもいいけど、文章の途中の「が行」は、なるべく弱く聞こえるようにしたいんですね。
文章の途中はスムーズに聞こえるようにしたいため、あえて鼻濁音化させているのでしょう。
破裂音の「が」よりも鼻濁音の「か゜」ほうが発音するときにパワーを使わないので省エネ的な側面もあるのかもしれませんね。
マニアックですが語頭の「ざ行」が破擦音になる現象や、連濁という音声変化も同じ理由です。
鼻濁音の「が」は消滅の危機?
さて、この鼻濁音の「か゜」ですが、どんどん廃れていっています。
わたしは、日本語教師になるために日本語の音声を学問として勉強しはじめて鼻濁音の存在を知りました。
でもこれは、わたしが無知だから知らなかったのではありません(笑)。
西日本では完全に消滅している
わたしの生まれ育った四国では、鼻濁音の「が」の発音が完全に消滅していて、この発音を操る人がまわりに1人も存在しなかったからです。
実は、四国だけでなく、西日本全般的に鼻濁音の「が」の発音が消滅しています。
しかも、関東でも使える人がどんどん減っている最中らしいです。
後述していますが、「鼻濁音の『が』」が消滅した地域では、代わりに「摩擦音の『が』」が使われるようになっています。
テレビのアナウンサーでも鼻濁音を使わなくなってきている
西日本生まれのわたしも、テレビで東日本出身の芸能人が話しているのは聞いたことありますよ。もちろんです。
つまり、鼻濁音の「が」を耳にしたことはあったはずです。
でもわたしは「鼻濁音」を使わない地域の人間であるため、テレビのアナウンサーが鼻濁音で「か゜」と言っていてもふつうの「が」に聞こえるんです。
日本人にとって、英語の「 L 」の発音と「 R 」の発音が同じに聞こえるのと全く同じ現象です。
さらには、鼻濁音は若者の間ではできない子が増えています。
正しい日本語を話す使命を持っている「アナウンサー」ですら、NHK以外では消滅しつつあるそうです。
鼻濁音が廃れるのはよくないこと?
こういう話を聞くと「鼻濁音が正しい日本語だから廃れないようにするべきだ!」という意見を持たれるかもしれません。
宣言しておきますが、100年後には「鼻濁音」の消滅した日本語が標準の言葉になっているでしょう。これが言語の進化ですから。
言語はどんどん簡略化されるのが常で、無くても困らない(意味の分別につながらない)ものは消滅する運命にあります。
たとえば本来、日本語の「じ」と「ぢ」は違う発音で、「ず」と「づ」も違う発音でした。
現在でも高知県の一部の地域などでは発音の違いが残っているそうですが!
でも、この区別がなくても生活に支障がないため、知らないうちに簡略化され1つの発音になったんですね。
なぜ鼻濁音は消滅の危機にあるの?
鼻濁音が消滅の危機にある最も大きな理由が、音声の違いが意味の違いにつながっていないことです。
たとえば、次の2つは発音は違いますが、意味は同じですよね?
意味の違いにならない
鼻濁音で「りんこ゜」と言うと「青りんご」の意味になったりしませんよね(笑)。
もし仮に意味の違いがあったとしたら、消滅の危機にはならなかったはずです。
【参考】東北地方では鼻濁音が消滅しない理由
西日本では消滅していっている鼻濁音ですが、東日本〜東北にかけては依然として残っています。
将来的には消滅する可能性はありますが、ほかの地域と比べるとかなり残り続けるのではないかと言われています。
え? なんでなの?
実は、東北地方では鼻濁音が消滅しにくい明確な理由があるのです。
その理由は、この地域特有の「が行」の発音のルールにあります。
「が行」の特有のルール
言葉の間にある「か行」が濁音化する
たとえば、東北地方では「柿(かき)」を発音するときに、「き」を濁音化させて「かぎ」と発音します。
そうなると、「鍵(かぎ)」と同じ発音になってしまいますよね? なので「鼻濁音」を使い、次のように発音を分けるんだそうです。
濁音 | 鼻濁音 |
---|---|
かぎ(柿) | かき゜(鍵) |
いが(魚介類の「イカ」) | いか゜(クリの「イガ」) |
つまり、本来濁音でない単語が濁音化したものは通常の濁音で、もともと濁音だったものは鼻濁音にシフトすることで2つの発音を区別しているのです。
こちらは国立国語研究所の動画でくわしく説明されているのでぜひご覧ください。
「が」が鼻濁音になるルール
この「が」の鼻濁音化ですが、複雑なルールがあるんです。
難しいので西日本出身のわたしには使いこなせませんが、見てびっくりしてください。
自然に使いこなしている人も「こんな高度なことを自然にやってんのか?!」と衝撃を受けるでしょう(笑)。
語頭では鼻音化しない
語頭に来る「が行」は鼻音化しません。
逆に語中・語尾の「が行」の音は原則として鼻音化します。
例
がんばって! こら! しゃか゜むんじゃない!
格助詞・接続助詞は必ず鼻音化する
「私が~しましたが」のような格助詞や接続助詞の「が」は必ず鼻音化します。
鼻音化する「が」の例
数詞の「5」は鼻音化しない
数詞の「五」は鼻音化しません。
例
ただし、人名や名詞に「五」が使われる場合は鼻音化します。
例
連濁は鼻音化する
連濁の場合は鼻音化します。
例
「連濁ってなに?」という方はこちらを!
「複合語」の場合は複雑
複合語の場合、語中・語尾でも必ずしも鼻音化しません(するものもある)。
例
「高等学校」の場合、「高等(こうとう)」と「学校(がっこう)」のように、1つの語になっていても2つの言葉という意識が強い語は鼻音化しない傾向があります。
逆に「小学校」や「中学校」は2つに分解できないぐらい「1つの語」という意識が強いため、鼻音化します。
音象徴語は鼻音化しない
音象徴語などの同じ語の繰り返しは鼻音化しません。
例
外来語は鼻音化しない
基本的に外来語(漢語は省く)は鼻音化しません。
例
ですが「イギリス」のように、もはや外来語ということが忘れられるほど日本語に定着していると鼻音化します。
地域差・個人差もある
……というふうにルールをまとめましたが、あくまで原則です。
地域によって違ったり、個人によって違う場合もあります。
【参考】日本語には3つの「が」の発音がある
さて、この記事では日本語の「が」には2種類の発音があると書きましたが、
厳密には3種類の発音があります。
なんと?!
言語学者の神山孝夫 氏は次のように書いています。
ゆっくりはっきり言えば語頭の場合と同じく [ ɡ ] が発されますが,普通にやや早口で言えば有声・軟口蓋・摩擦音の [ ɣ ](つまり [ x ] の有声音)が発されます.
神山孝夫 著『脱・日本語なまりー英語(+α)実践音声学ー』(2019年 大阪大学出版会) より引用しました。
どういうことかというと、鼻濁音である「か゜ [ ŋa ] 」が衰退していき、その代わりとして [ ɣ ] の発音が主流になってきたということです。
この発音がどういう発音か見てみましょう。
口の構えは「が」とまったく同じなのですが、摩擦音という違いがあります。
摩擦音というのは、「さ」や「ざ」などの子音 [ s ] の発音や [ z ] の発音などと同じです。
発音するときに舌を上あごにくっつけ、非常に小さなスキマを開け、スキマ音を出します。
ちなみに次のような音声になりますよ。
[ ɣ ] に「あいうえお」をつけて発音した [ ɣa ɣi ɣɯ ɣe ɣo ] の音声はこちらになりますよ。
通常の「がぎぐげご」よりも、勢いが弱くかすれたような音になっているのがわかりますか?
追記:『にほんごであそぼ』で歌われていた『華麗に鼻濁音』という歌
そういえば、Eテレで放送されている『にほんごであそぼ』で『華麗に鼻濁音』という歌があります。
まさに鼻濁音のことを歌っているのですが、歌詞がこんなふうなんです。
ガ キ゜ク゜ケ゜コ゜(へい!)
ガ キ゜ク゜ケ゜コ゜(へい!)
びだ〜くおんおん びだ〜くおん
「おお!」……と唸ったのですが、語頭がルールにのっとって鼻濁音になっていないんですよ!!
でもこれ、本当に関西の人にはわからないんだよなぁ(笑)。
まとめ
わたしが日本語教師をしていたときに、中国の「内モンゴル」出身の生徒にこんなことを言われました。
先生、日本人はどうして「が [ ga ] 」を使う人と「か゜ [ ŋa ] 」を使う人がいるんですか?
わたしは衝撃を受けました。だってわたしにとっては、かなり意識して聞かないと同じにしか聞こえないですから。
つまりモンゴル語では、「が」と鼻濁音の「か゜」は、まったく違う音声らしいんです。
というわけで、何気なく使っている日本語でも、意識してみるとおもしろい発見がありますよー。言語のおもしろさが伝わるとうれしいです。
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